いろはに金平糖ちりぬるを

読んだ本・見た映画の備忘録

巨大な雲

図書館を出ると今までみたことのない大きさの雲が出ていた。空を見上げてもいないのに視界に入る大きさの雲は、右から左に頭を振っても途切れることなくひと続きになっていて、もし自分が今3歳で、大人にこれはめちゃくちゃ高い山だと言われていたら多分信じていた。目がおかしくなりそうなくらい白く、呆然と眺めていると網膜がダメージを受けるのを感じる。私の頭では一生思いつかないような形の峰や凹凸があり、はっきりと目で捉えることはできない陰影があって、マスクの下で口を開けてそれを眺めている。なんとかしてこれを一生覚えていたいと思うが、私のスマホのカメラと技術ではこれを写すどころか、記憶の補助になるものも写せないことが自然とわかる。雲を直に見ているときにはもっと言葉が出てきていたはずなのに、家に帰ってからこうしてスマホを打つと文章もぐったりした冴えないものに成り果てていて、いつもこんなことをしている。

机が必要だと思ってから三年がたった

自室がめちゃくちゃだ。今自室に置いてある家具と呼べるものはスライド式の本棚(スライドする部分が本の重みで勝手に一定の方向に動くようになってしまいとても使いにくい)とリビングからいつの間にか移動してきた座椅子(使ってない)のみで、あとは本棚に入りきらなかった本や漫画、CD、ゲームが床の上に置いてある。かろうじて本を壁沿いに積み重ねて背表紙だけは見えるようにしてあるが、読みたい本が山の下のほうにあったりすると取り出しづらくて最悪だし、下の方を見るには床に這いつくばるしかなく、なんとなく気分が悪い。

本の収納がまともにできてないのも最悪だが、この部屋には机と椅子がないためインターネット環境がさらに終わっている。普通インターネット環境が終わっているといったら回線がクソとかパソコンのスペックがクソとかいう話になるはずだが、それ以前にノートパソコンをまともな見やすい高さの場所に置いておのれの好きな各種WebサイトやSNSを閲覧することすらでできていない。じゃあ今どうなってんだというと昔父親にもらった釣り用の大きめのクーラーの上に過去に買ったジャンプとかを乗せて高さを調節して、その上にノートを置くという見た目も性能も終わりすぎた環境でちくちくインターネットを閲覧している。

パソコンを開く瞬間に毎回「こんなことは終わりにしよう!机を買うんだ」と思うもののいざ買おうとすると自分がどんな机が欲しいか、というか特に希望はないけど自分が見ている机がおのれのあるかなきかもわからない要求に合致したものかがいまいちピンとこなくて購入に至らない。机を見る段階で8割がた削られた精神力は「机の高さに合った椅子を買わなくては」と思うに至って完全に消え失せる。全てが面倒くさい。いやググれば机と椅子の高さの関係をわかりやすく解説したサイトなんかもあるんだろう。あるんだろうな。しかし心がついていけない。なぜだかしらんが異様に気が重くて何もやりたくなくなってしまう……。こういう時にニトリみたいなところで机と椅子がセットになってるやつがありがたいんだろうな。ニトリというと日経新聞私の履歴書で大学時代に金で単位買ったみたいなエピソードを必ず思い出してしまうが……。

こうやって思考はどんどん脱線し、どうでもいい記憶を引っ張り出すことにエネルギーが使われ、机と椅子を見繕うという目的に割く気力などみじんも残っていない状態で一日の終わり、ということになり、クーラーの前で正座することになる期間が延びていく。

いや、めちゃくちゃ安い奴を買ってみてそこから調整する形で買うとか、日本全国がめちゃくちゃリモートしてる今ならレビュー記事も山ほどあるんだろうからそういうのを読めばいいんだろうけど。しかし今インターネットで何かについて書かれた記事を探そうとすると検索結果の上の方に出てくるクソみたいなうっすい変なデカイ画像がちょくちょく挟まれた宣伝記事を見分けるという作業がまず発生するのがなあ。やる気なくすよなあ。

顔のかなたに

また見つかった、

何が、永遠が、

海と溶け合う太陽が。

 

ほうれい線が出た。出たというか、数年前から「この辺に出ます」という予告のようなものは顔の上にうっすら出ていたのだが、無視できる程度だったので気にせず生活していて、先日久しぶりに化粧でもするかと思って鏡でおのれの顔を見たらはっきりと現れていた。

自分の体が変化すること自体にまったく動揺しないのは難しいものの、せっかくなのでこの二本線がある顔を面白くいい感じに過ごす方法を知りたいのだが、「気にしないで明るく笑って過ごす」というのが今のところ世間での唯一解になっている気がする。別にそれはそれでいいんだが、この年を取った顔ですると若いころの顔でやるより似合う化粧とかないのか。

ここ数年、アンチエイジングという言葉の代わりにエイジングという言葉を使ったりしてその年の自分が美しくいられる方法を見つけようというニュアンスを押してくるようになったきらいがあるが、実際のところ年取った顔で何をするというわけではなさそうで、つまらん話だ。まあ、そういう言葉を使うようになったのはアンチエイジングがひとしきり世間にいきわたった後に若返りは存在しないということが周知されてしまったので今度はお前はそのままでも美しい、ついてはうちの会社のクリームを顔に塗るとさらに良い、という話でしかないんだろうが。結局のところ広告にその辺のおばさんを使う会社はない。

しかしこれで私もいよいよ市場の関心からはじかれた領域に入ったわけだ。若くなく、ほうれい線を消したいとも思ってない人間の居場所は化粧品業界の想定する世界にはない。マーケットとして存在せず、ファンデとか買う時だけ業界との接点が生まれるわけで、なんだか幽霊のような存在だ。個々の化粧品を購入する瞬間だけ現れる幽霊。幽霊だと思うと楽しくなってくるな。夜ごと飴を買いに来る女の幽霊みたいな感じのやつだ。これからは幽霊の化粧をすることになる。人生の新たなステージだ。

綺麗な顔でラーメンを食べ終えたい

ラーメン食べてると顔がぐちゃぐちゃになるのをなんとかしたい。鼻水なんか出たことないですという顔でサッサと麺を啜って、適宜メンマや味玉を楽しんで綺麗な顔で席を立ちたい。現実にはあっという間に鼻水が止まらなくなって食べる→鼻をかむを交互にやってバタバタしてしまう。麺類をおいしく食べるには早さが命だから鼻をかむ時間がもったいないし、そもそも鼻をかむのはめんどくさいし、ゴミの処理もめんどくさい。あと人前で鼻をかむのがなんとなく恥ずかしいし、何度もかむから鼻の下の化粧も剥げる。鼻をかんだ紙の置き場にも困る。こんなもんカウンターの上に置くのは…と思うし、でも鞄の中に直に入れるのも嫌だ。小さな袋かなんかを用意しておいて順次そこに入れるのが良さそうだが袋ごと捨てる場合は補充を忘れそうだし、袋を再利用したくもない。「頑張って忘れないようにする」以外の解決法が無いのは良くない。

全く動じずに綺麗に食べ終わってる人を見ると一体どうやってるんだと思う。もしかして鼻水が出てるのを意に介さず食べ続けているのか?それか鼻をかんでいるところを人に見せていないのか?私も麺を啜るのと鼻をかむのに一所懸命で人の様子を見ているわけでもないからそういうことなのかもしれんが…しかし百歩譲って誰も見てないから鼻をかんでも恥ずかしくない(まあ別に鼻垂れてるよりよっぽどマシだからとっととかめばいいし、鼻をかむのはそもそも恥ずかしくないが)としても化粧が剥げる、麺が伸びる、ティッシュの置き場所に困るという3点は解決していない。みんなどうしてるんだ。佐々木倫子の『林檎でダイエット』でも主人公姉妹がデートの時に食べたくないものの一つにラーメンを挙げていたはず。30年経ってもこの問題解決してないのかよ。早く綺麗にラーメンを食べ終われるようになりたい。早く人間になりたい。

いい香りの正体

みかんの皮を剥いていたら、今までになく甘く強い香りがした。まるで香水のような華やかでいい香りだったので手の中のみかんを見てみたら、ヘタの方が傷み始めてグジュグジュになっていた。そこから私が素晴らしい香りだと思った甘い香りがしていた。

「ミッドサマー』感想

携帯のメモ帳から劇場公開当時の感想を発掘した。2020年2月の後半に見たはずで、そのあたりから新型コロナウイルスはかなりまずいから外出ももうやめたほうがいいのかなという空気だったのを思い出す。事実その後6月頃まで劇場で映画を見ることがなかった。これ見た後の昼はモスバーガーでめちゃくちゃ手を洗ってからハンバーガー食べた記憶がある。

 

うおおおお思ったより普通だった〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!別に「グロとか鬱系のやつ耐性できちゃってるのかも〜笑」とか言いたい訳じゃねえんだけど(マークの散々な様子とかわりと気持ち悪かったし…)思ったより普通だった……というか予想を超えるものがなかったのでなるほどね〜とかそういうのある〜(カップルの喧嘩、女の「責めてるんじゃなくて話し合いがしたいだけ」とかインターネットで死ぬほど見た!!!!!と思ってしまった)とかで終わってしまった感じかな……いや、そもそもホラーだと思ってたというのが間違いなのだが……

・理解し難い他人の価値観への不快感

・理屈をすっ飛ばしての異常なほどの共感への不快感

とかの、自他の境界に関わる不快感についての話なのかな?と思った…わからんが…というか世の中の大体の話そういうあらすじにしようと思えばできそうだからちょっとガバガバすぎる感想かもしれない。

主人公がカレピと村娘の性交を見て泣き叫んでる時に周りの女が死ぬほど共感して泣き始めるのめちゃくちゃ気持ちわり〜…嫌だな〜〜ってなったので、個人的にはその辺の簡単に共感してくるキモさみたいなのがよく描かれてる映画に見えたのかもしれない。俺も親いないから気持ちわかるよ…っていう台詞とかもマジほっといてくれや〜!!!!!だし…まあそのケースは狂人の可能性がある奴に共感されたくねえ〜!!!という気持ちなのですが…

どうでもいいのですが「イチイの木から取った 苦しみはない」の後に間をおかずウオアアアーーー!!!!!(メッチャ苦しい!!!!!!!)みたいなカットあるの少し面白くなってしまった。あと、聖典は長老が解釈してます→いやそれ創作し放題やんけ!とかも、欺瞞に満ちた狂気の集団…というよりズコー感があるような、いや狂気の集団が独自解釈でグロい人殺しをしまくるのはもちろんおぞましいし怖いんですが。

冒頭の妹と両親の死が教団とは特に関係なさそうなのは良かった!こういう物語上の全てに理由ついてるというか対応する要素がありまーす!ってされると萎えちゃうタイプなので…。

この前ダニーの救済に力が置かれたセラピー映画っていう意見を初めて確認したので(今までその意見に異を唱えてる意見しか見たことがなかった。まあTwitterのタイムライン構築による偏りでしょうね)ちょっと驚いた。まあ何が救済なのかは本人による、というのは大前提とした上で、別にダニーは救われてないじゃんと思うので…。確かにラストシーンのダニーは微笑んでいるし、その心のうちはわからないが、ダニーは自己決定ができないカルトの仕組みに取り込まれると言う条件付きで共感してくれる他者に囲まれて生きる場所を得ただけで、要は依存先が変わっただけなので……。別に力になってくれない、裏切り者の彼氏を切り捨てる強さを得た訳でもなく(というか彼氏に100%ダニーの力になってくれってのも無理があるだろ…彼氏も論文パクったりダニーを連れていく話を仲間に黙ってたりどうしようもないところはあるけど、それとこれとは話が別だろ)そもそもカルトの土俵に乗った上での話でしかないのでなあ。そこに至るまでには薬物や環境によって追い詰められてまともな思考ができなくなった過程があるわけだし。自我が瓦解しただけで。まあ、そんなこと分かった上でセラピーっていう言葉を使ってるんだろうとは思うが。私のこの意見は「人間は自立した意見・自身に関わることの決定権を持っている/基本的に自分で選んで決定し生きるもの」っていう意識がバリバリに強い考えを根底に持ってるから出ているものなのもわかってはいるのだが…何だろうな、「だから何?」から先に進めなかった。この映画に関しては。

ついでに言うとそういう「人の数だけ幸せがある論」を安易に口にすることは私はあまり好きではない。

あと、結構見かける「薬物をやってる時の画面の揺れとか幻覚や音響で気持ち悪くなった」というのも全く無かったので、自分はものすごく鈍感な人間なのかな…と思ってしまった。まあこれこそ仕方ないことではあるが……。個人的に主役の演技がとてもよかった。不安定になった時特有の口の歪み方、しゃくり上げ方、不快なんだよな〜!!だから支えなきゃって気持ちとウゼエ…って気持ちがないまぜになるのもわかる!でも彼氏はクズだよ…って思ってしまい、その点で居心地の悪い思いをさせられたので、アリアスター監督はそういうのが上手いのかもね。

なんというか見やすい映画『ドクター・スリープ』

ティーブンキングはキューブリック監督の『シャイニング』を全く気に入っていない、原作はもっとシャイニング=超能力に焦点が置かれている、という話がもうソース確認せず事実扱いしていい常識という感じになって久しいが、これに加えて『ドクター・スリープ』はキングもニッコリうんうんこれが俺が書いた話だよ的に言ってるらしい、というのも流れてきた。

『シャイニング』はやっぱり面白いしカッコ良かったからまあ世間の風評も込みで続編も観たいなあと思っていたらいつのまにか劇場で公開され、コロナで世間がバタバタしたり自宅にこもっていたら公開が終わり、アー…と思っていたらいつのまにかNetflixに流れてきていたので無事観ることができた。ありがとうNetflix、クレジットを見ている時におすすめ作品を問答無用で介入させてくるところは死ぬほど許せないがこういうときだけは入ってて良かったと思う。Netflixって基本的に最高の作品みたいなのはそんな無くて平日夜の時間があるときに適当な温度でなんか観ますかねって時にちょうどいい作品が多い印象がある。そしてドクター・スリープはまさにそういう感じの作品だった。

かなり失礼な言い方になってしまうんだけど、良くも悪くも見やすくて、凡作という言葉がしっくりくる。

・冒頭で前作のメチャクチャ怖かったババアが即対処されてて絶叫しながらやられてるところ、笑ってしまった。あまりにもあんまりな扱いじゃないですか。思わずこれが俺たちの前作への態度ですってことなのか?とつまらない勘ぐりをしてしまう(こういうつまらない勘ぐりを許す感じが凡作っぽいというか)。箱のことを良く知るんだ、中も外の模様も…ってセリフがあるからダニーが自分の力をコントロールするための修行パートが来るのかと思ったら即使いこなしてて、ダニーが規格外の強キャラということなのかそんなことに使う尺はねえよということなのか…という気持ちになった。

・ヒッピーって今の時代でも怪しい奴らのイメージに使いやすいものなんだな…というか2000年代くらいでヨガとかなんらかのパワーみたいな話や“繋がり”“絆”みたいなキーワードが盛り返してきて不思議な共同体という存在がまた出てきたから再利用できる感じになったのかな。敵のローズ、被ってる帽子のせいか微妙にマイケルジャクソン感がある。長老は弱ったジョブズ感。

・冒頭からもう前作とは完全に違うというのはわからせられてるんだけど、ローズたちの目が光ったシーンで「もう本当に違うんだな」という気持ちになった。あの演出って今でもアリなんですね。

・ダニーが断酒のAAに参加して同じ悩みを持つ女の子とも知り合って他者との交流で人生全体が改善して人のために力を使えるようになったよって話のライン、今のトレンドというかすごくスタンダードにのっとった正統な作りですね。

・ビリーいいやつすぎねえか!?「俺を何に巻き込んだ?」のシーン気の毒すぎるだろ。夜明けに叩き起こされて悪夢みたいな話聞かされて挙句あんなもん見せられて…。でもショック受けててもヘッドショット決められる腕なのは笑った。しかしこの作品の中で唯一心技体揃ったパーフェクト超人があんな凡ミスで死んでしまうの悲しすぎるだろ。だからこそいなくなる必要があったんだろうけど、一番脚本の都合でやられた感があってそこもうちょい仕方ない感じでやられて欲しかったな…と思った。ダニーを助けるとみんな死んじゃう。前作のおじさんと違ってそこまでの覚悟がある感じでもなかったし。

・アブラとダンが黒板を介して話をするのはほのぼのしたシーンだけど、この人たちはいきなりこんなことが起こっても笑顔でやりとりできる程度に異常な出来事に慣れているんだなあ…あと会話は一往復で終えて相手のこととか聞かないんだ…とは思うがまあシャイニングを持つもの同士はそんなもんなのかもしれんな(適当)力を使うのを嫌がってるダンと使い方を知らんアブラだから最初は相手を知ろうとしなかったのかもしれんが。

・アブラが規格外に強いけど子供で経験がなく詰めが甘いところはわりと良かった。その分ローズをぶっ飛ばすシーンとかは気持ち良いし。意識に入ってこようとしたローズを返り討ちにするシーンのアブラの代理のフィギュアが立ってる場面、自分の優位を信じていたローズもこういうショックを受けたのだろうな…というのが感じられて良い。

・クロウはシートベルトさえしてれば死なずに済んだのに…ダニーの機転で一発逆転て感じのシーンなんだろうけどあまりにもしょぼい死因で笑ってしまった。

・最後の決戦〜アブラとダニーの対話のシーンあたり、日常的な感情だけで理解できるお話になっているあたりが本当にこの作品は全然別人が撮ってるんだな〜というのをひしひしと感じる。ホテルに行くあたりから前作の有名なシーンが使われているが、使ったから…何だ?っていう感じで、全然緊張感がないしワクワクするわけでもない。特にホテルに向かう際の空からのショット、前作のあの音楽もかかってるのに全く不気味な感じも何もなく…ここまで脱色できるのすごいなという感じがある。やっぱり監督によって変わるんだな…なんか血の吹き出す場面とかも何もかも含めて、「出しときました!」感がすごい。ファンサービスというわけでもなく、ただ知ってるシーンが出てきたというそれだけで、今作の画面のカッコよさを補強するでもなくホテルの怪異に怯えない登場人物たちが魅力的に見えるわけでもなく…。

この「こんなに違うんだ…」感、2016年のNHK紅白歌合戦を思い出してしまう。シン・ゴジラNHKが紅白仕様にしたやつ。出演者もちゃんと同じ人だしNHKのスタッフや機材はちゃんとしてるはずなのに、廊下を歩いてるシーンが全然カッコよくなくてびっくりした。たしかにシン・ゴジラはなんか全体的にかっこいい気がするけど私が庵野秀明の名前に飲まれているだけかな…と思っていたのに、NHK版を見てこんなピリッとしないシーンあんのかい!!!!?という悲しい形でシンゴジってちゃんとかっこよく見えるようにしてたんだな…という再確認をしてしまった。

シン・ゴジラの話になってしまったが、要は平日の夜に時間がある時に見るのにちょうどいい温度感の、駄作ではないといった感じの映画。前作が理屈がよく分からない恐怖がめちゃくちゃかっこいい画面と共にダニーを襲う!!!という感じだとすると、その真逆の、登場人物たちの心情や行動の動機がめちゃくちゃわかりやすく納得のいく話とまあまあの絵が私たちを楽しませてくれる!!!という感じの仕上がり。いや本当に馬鹿にしているわけではなく。普通だけど悪くない。普通の映画。