いろはに金平糖ちりぬるを

読んだ本・見た映画の備忘録

インターネットの部屋

行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。

鴨長明方丈記』)

というわけでTwitterもずいぶん長らく使ってきたけど、インターネット上の永遠の住処にはなり得ないのかもしれないなあとふと思ったり。こんだけ長く使ってるとこれが無いってどんな感じか想像できなくなってるけども。友達とどんなふうにしてたっけ。多分、誰ともあまり連絡を取らずに半年とか数年経ったりしてる。いつからか人に連絡をするのに多少心理的なハードルを感じるようになっていたので、とりあえず自分の状態を掲示しておける場所としてTwitterはありがたかった。

でも、ぱっぱっと思いついたことを適当に投げ出すようなことばかりしてしまっているなあという後ろめたさはここ数年段々と強まってきていて、どうも考えたり読んだりということの質を自ら下げているのではないかという気持ちがよく湧くようになってきた。落ち着いて物事に当たれない。一度なんだか嫌になってきて、5月ごろには一回アプリを消したりしていた(美味しんぼの田畑さんが結婚した回でびっくりして思わずツイートしたくなって再インストールしてしまったが)。

この、「思わず人に何か言いたくなる」というのが病の根幹に近い気がする。たしかに自分がびっくりしたり楽しんだり、その他のマイナスな感情であっても仲の良い人に話すのは楽しい。しかし「すぐ」それを言う必要はあるか?ということはもうちょっと考えた方がいい気がする。だって、落ち着いてみるとそんなに鮮度が大事な話ってそうそう無いし…。大体の場合は事態を落ち着いて整理してから自分の考えをまとめ直した方が確実に良い形になるし、意識してそれができるように自分を調整する必要があるように思う。

思いのままにわーわー言うのも楽しいけど、そればっかりやってるとそれ以外の形にすることができなくなっちゃうからなあ。

場所(使うサービス)が変わったらその場の仕様に合わせて挙動が変わるから、もしかしたら良い変化ができるかもしれない、しようかなと思っている、という話でした。