いろはに金平糖ちりぬるを

読んだ本・見た映画の備忘録

ページの隙間にいるもの

ぼんやり一日を過ごすうちに、数えきれないほどの小さな泡のようなものが頭の中の川を流れて行く。そのなかのいくつかが時々お互いにくっつきあい、どうかするとスープ状になった過去の記憶から小さな断片を拾い出してくることがある。断片はたまに文字になり、突然本のタイトルのかたちをとる。

そういうふうにして思い出した本は猛烈に読みたい気持ちを誘うもので、とりあえず読みかけの本の山をわきに置いて本棚の前に立つことになる。大体このへんにあったはず、とアタリをつけて探ってみると見当たらない。記憶違いかと思って端から本を手前に傾けて奥の段まで覗いてみても見つからない。家族に貸したかと思って共用の本棚の中身も検分して、聞いてみても知らないと言われる。処分したのかもな、と思う一方でどこかにある気がする、という妙な確信めいたものが生まれてしまっていて諦めきれない。でも家じゅうをもう一度探しなおしてもやっぱり見つからない。

そうやって記憶の中の本を探す一方で、本棚の中身を順番に見ていると前から読もう読もうと思ってそのままにしていた本が見つかるので、もう一度挑戦するか、ちょうどいいタイミングだし、対戦よろしくお願いしますということで何冊か取り出して机の上に置く。

結果として読みかけのままわきに置かれて忘れられることになる本のかたまりと新しく読もうかなと思って積まれたまま忘れられる本のかたまりができ、そういう小さなかたまりが部屋の隅でキノコのようにどんどん育ち、その一方で図書館であれもこれもと借りてきたりする。そのうち見るからに部屋の中が荒れてきて収拾がつかなくなるので片っ端から本棚にしまいなおして、こうして本達は水族館のマグロのように家の中を周遊する。

多分、本はもともとこうやって移動するものなのだろう。もとは一人乃至複数の人間から出てきたものを他者に届けるための乗り物のようなものなのだから、本来はこうしてあちこちを動き回るのが正しいのだ。誰かの頭の中身を乗り移らせるための紙とインクと接着剤や綴じ糸の集合。思想や知識、物語は紙とインクに乗り移ってさ迷い歩いている。一冊一冊に幽霊が憑りついている。

幽霊たちは家の中を歩く。本棚から本棚へ、ベッドサイドへ、机の上へ、並び、重なり、崩れ、ときたま人の頭の中に棲み、出ていき、売り払われ、他のだれかの家に入り込み、本棚に並び、その一方であたらしい幽霊たちがみっちりとトラックに載せられて書店へ運ばれ、皆が集合して路上をそぞろ歩く。夜は墓場で運動会をする。捨てられて燃やされる。どこかにいってしまう。しかし、ある日唐突に、読んだという行為そのものの記憶が、人の頭の中に静かに現れることがある。かつて一冊の本を読んだという記憶、それは本の中にいた幽霊と読んだ人間の間に生まれた新しい幽霊だ。私から生まれた幽霊は私の頭の中をあいまいにして回り、自分の存在を本棚のなかにいるはずの存在に書き換え、私はいつまでも本棚の中を覗くことになる。すべての本棚には幽霊が詰まっている。

 

今週のお題「本棚の中身」