いろはに金平糖ちりぬるを

読んだ本・見た映画の備忘録

2020年8月までに読んで面白かった本

今年は年明け一発目から当たりを引けた。

予告された殺人の記録ガブリエル・ガルシア・マルケス

「実際の事件を元にしたけど親戚や知人が関わっていたのでずっと物語にすることができなかった」
え!?
人間関係や時制、暗示が絡み合った作品、こういうのが読みたかったんだ…この作品の読みの一例を示してくれる訳者後書きも最高で、ルポのような小説のような作品から何をどう受け取ればいいのか迷ってしまった時に道標を見せてくれる。そして訳者の読み以外に読者の想像に委ねられる部分もあると明言されている。なんて誠実なんだ…。
更に文庫版後書きでは小説の新たな読みが展開されていること、作者が文学に対する抵抗感を減らすために活字の組み方や表紙デザインにまで気を配っていたこと、モデルになった事件への反応や需要のされ方、影響を受けた人達(ウォンカーウェイがこの作品に影響を受けてたことはこの後書きを読まないと知る機会は無かった)についてまで書かれていて、一つの作品から汲み出せるものの多様さを目の当たりにできるのが嬉しすぎて…ありがとう…感謝の一言ですね…
まあガルシアマルケスなんだからいい本なのは当たり前かもしれないが…この本は数年前に買ってなんとなく寝かしていたが、そういう本を初めて読んで当たりだともっと早く読めばよかったと思う反面めちゃくちゃうれしくなってしまう。

 

『少年が来る』ハン・ガン

ページをめくった先に訪れる出来事を見るのが怖くて読むのが辛く、でも読みたい気持ちが抑えられなくて急いで読んだ。これまで斎藤真理子の翻訳でしかハン・ガンの作品を読んだことがなかったので単にこの人の訳が好きなのかもと思っていたが、翻訳者が変わってもハン・ガン作品に感じる独特の静かな印象は変わらなくて、これは作者のテキスト自体に存在しているんだなと思った。
登場人物たちへの安易な共感は許されていない気がして、登場人物との間に長大な距離があるような感じがする。それはこの物語が読者を拒絶しているというわけではなく、元々人と人の間に存在していて、普段見えていないものがこの小説の中で明確に形を取って現れているのだと思う。
ハン・ガンの小説は『ギリシャ語の時間』や『菜食主義者』を読んで好きだなーと思っていたが、『少年が来る』が一番…なんというか心臓に迫ってくる感じというかなんというか、これまでハン・ガン作品に感じていたものの核にあるものを限界まで圧縮したような感じがする。ハン・ガンの小説読んでると事象を見つめるまなざしみたいなものやその対象との距離を感じるけど(冷たいとかそういうことではない)この小説が一番そういうものを強く感じた。語弊を恐れず言うならものすごくつらいけどものすごく美しい小説だと思う。

 

『赤の他人の瓜二つ』磯﨑健一郎

ふむふむと読んでいると文章の中に出てくるキーワードに「飛ぶ」ように次の話題が展開し、どこまで流れて行ってしまうんだろうと思うような話の展開に落ち着かない気持ちにさせられる。でもそれが心地よい。どう読めるかを考えながらまた読み返したい。体力いりそうだが。

 

ドン・キホーテ』ミゲル・セルバンテス/永田寛定訳

こんな話だったのか!?風車に向かって突っ込んだくだりしか知らなかったがそもそも騎士物語を読みすぎて自分がその世界の住人=騎士だと完全に思い込んでしまったのが事の発端だというのを初めて知った。もともとは『テリー・ギリアムドン・キホーテ』(原題 The Man Who Killed Don Quixote)を観るために読んだが、これを読んでからいろんな作品に引用されているドン・キホーテネタがわかるようになって楽しい。長くて時間かかるけど、ドン・キホーテが冒険している途中で出会ういろんなお話(劇中劇)なんかも楽しい。

作中で和尚(本当は神父とかなんだろうけど当時の訳では和尚になっている)が物語について「昔はきちんとした物語ばかりだったのに最近は空想と現実の区別のつかないようなもんばかり…そのうちあらゆる時代のあらゆる英雄がごちゃごちゃに登場する物語がもてはやされるようになる」みたいなこと言っててそれ400年後の日本でFateっていうシリーズで現実化しますよ…と思った。予言だ。

あと、一巻のはしがきに「ことし、一九四七年は『ドン・キホーテ』の作者ミゲール・デ・セルバンテスの誕生から満四百年に当たる。イスパニヤ(スペイン)においても、中南米諸国においても、この文豪を記念する催しがあることを察するが、海外諸国との通信がまだほんとうに復旧しないため、模様を知ることができない。残念に思うのはわたし一人ではなかろうとおもう。」と書いてあって、時代〜!!!!!と思った。こういう当時の社会状況とか常識が書いてあるのって後から読むと面白いよな。

 

『恐怖の作法』小中千昭

数年前に買って、インターネット怪談についての章が怖くて途中で止まっていた本。別にこの本に書いてあることが特別怖いというわけではないんだけど、自己責任系の話の初出を探るために順番にインターネットの書き込みを並べて解説してあるところを読むだけでなんだか怖かった……。インターネット怪談も好きだし怖い話も好きだし、小中千昭の書く脚本の雰囲気も好きなので、とにかく全編好きな雰囲気に満ち満ちていて楽しい。